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福岡地方裁判所 昭和42年(行ウ)10号 判決

原告 三菱重工業株式会社

被告 福岡県地方労働委員会

補助参加人 全日本造船機械労働組合三菱重工支部福岡工作分会外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  原告

「被告が、申立人全日本造船機械労働組合三菱重工支部福岡工作分会、被申立人三菱重工業株式会社間の福岡労委昭和四一年(不)第三一号不当労働行為救済申立事件につき、昭和四二年三月一五日付で発した命令のうち主文第一項を取消す。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求める。

二  被告

主文と同旨の判決を求める。

第二当事者の主張

(請求原因)

一  原告は昭和三九年六月新三菱重工業株式会社、三菱日本重工業株式会社及び三菱造船株式会社のいわゆる三菱三重工が合併した株式会社で、航空機、自動車、機器の製作、船舶の建造等を主な事業とし、肩書地に本店を、工場の一つとして福岡県筑紫郡筑紫野町に長崎造船所福岡工作部(従業員約二〇〇名。もと福岡製作所と称していた。以下福岡工作部という。)を置いている。

二  被告補助参加人大穂良策、同久野政秋、同小田部敏郎はいずれも福岡工作部に勤務する会社の従業員で、大穂は被告補助参加人全日本造船機械労働組合三菱重工支部福岡工作分会(以下分会という。)の教宣部長兼副執行委員長、同久野は執行委員長、同小田部は書記長である。

三  分会は、昭和四一年六月二一日、福岡工作部の建物内に設置してある分会の掲示板に「福工分会教宣部」の名で別紙のとおり「長船勤労部長左遷か?」「前福岡製作所々長付岡崎氏自己都合退社」の見出しのある教宣用壁新聞(以下本件教宣文という。)を掲示した。

原告会社(以下会社ともいう。)は同日直ちに同分会に対し抗議を申入れ、さらに翌二二日関係者の責任を追及する旨の文書を交付して抗議したところ、同分会は翌々二三日に至り右教宣文を撤去した。

四  会社は従業員就業規則に照し同年七月二六日付で右教宣文掲示の責任者として大穂を出勤停止五日間(賃金カツト額九、〇七四円)に、久野、小田部をそれぞれ一〇%の減給(前者につき一五六円、後者につき一〇六円の各減給。以下右三名に対する処分をあわせて本件懲戒という。)に付した。

五  分会は右懲戒処分を不当労働行為であるとして会社を相手方として被告に救済を申立てたところ(福岡労委同年(不)第三一号不当労働行為救済申立事件)、被告は昭和四二年三月一五日付で「一、被申立人は昭和四一年七月二六日付をもつてなした申立人組合員大穂良策に対する出勤停止五日間、同久野政秋及び小田部敏郎に対するそれぞれ一〇%の減給処分を取消し、処分によつて支給しなかつた賃金相当額を支払わねばならない。二、申立人のその余の救済請求を棄却する。」との主文の命令(以下本件命令という。)を発し、右命令書の写は同月一七日会社に交付された。

六  しかし、被告が本件懲戒を不当労働行為と認定し右主文第一項の命令を発したのは事実を誤認した結果であり、かつ右命令書に「理由(認定した事実及び法律上の根拠)」の記載を要求する労働委員会規則第四三条第二項第四号に違反しており、いずれにしても違法である。

七  よつて、会社は本件命令中主文第一項の取消を求める。

(請求原因に対する答弁)

一  請求原因一ないし五の事実はいずれも認める。

二  同六の事実は争う。

(本件命令の瑕疵についての原告の主張)

一  事実誤認について

(一) 組合分裂の真因と合理化問題

昭和三九年六月いわゆる三菱三重工の合併により会社内には三菱重工本社労働組合(略称本社労組、組合員数約二、二〇〇名)、三菱重工労働組合連合(略称三菱労連、約一三、〇〇〇名)全日本労働総同盟三菱重工労働組合(略称同盟三菱、約四〇、〇〇〇名)及び全日本造船機械労働組合三菱重工支部(略称三菱支部、約二三、〇〇〇名)の四労組が併存することとなつたが、翌四〇年二月一日右四労組は三菱重工四労組協議会(略称四労協)を結成し、

(1) 労働条件に関する対会社交渉は四労協を中心に連携をとりながら行なう

(2) 昭和四一年一〇月一日を目途に連合会を結成する

そのため三菱重工組織統一準備委員会設置の件を共同提案として各組合でそれぞれ確認を求める

との二項目を決定した。

右(2)の共同提案につき三菱支部を除く他の三労組は昭和四〇年一〇月までに絶対多数で可決したのに対し、三菱支部はこれを否決し、なお、向う一年間の運動方針として労使協調路線反対、合理化絶対反対、スト権確立などの方向を打出した。

そこで、四労協は同年一〇月二二日三菱支部の共同提案否決に伴う四労協運営問題について協議し、同年一二月二三日三菱支部を除く他の三労組で三菱重工労働組合協議会(略称重工労協)を結成した。

このような情勢の中で三菱支部傘下の各下部組織は同年一二月以降長崎造船分会(略称長船分会)を皮切りに相次いで分裂または支部を脱退して新組合を結成し、これら新組合は三菱重工労働組合西日本連合会(略称重工西連合)に結集したところ、重工労協は重工西連合の加盟を認め、また三菱支部の三回にわたる加盟申込をいずれも拒否した。

従来福岡工作部の従業員約二〇〇名により組織されていた分会も同年一二月一二日分裂し、新たに三菱重工福岡労働組合(略称重工福岡労組)が結成された。その結果福岡工作部には二つの労働組合が併存することとなつたが、その後大部分の従業員が新組合に加入し、分会の組合員は昭和四一年八月一日当時三七名に減少していた(重工福岡労組はその後三菱重工長崎造船労働組合に統合され、現在同組合福岡工場と呼ばれている。)。

右のように三菱支部傘下の各下部組織の分裂は同支部が前記共同提案を否決し四労協内で歩調を一にすることが不可能となつたのに伴い、同支部の組合員間に意見の対立を見るに至りその結果生じたものであるのにかかわらず被告が本件救済命令中で右に述べた組合分裂の真因を解明せず熾烈な国際、国内の企業競争下の合理化及びこれに対する反対闘争の当否も検討せずに「これらの分裂は被申立人が企業合併を機に組合の分裂を画策したとの認識のもとに、会社と対立し推移していたところ、分裂工作に参画したと目する被申立人会社幹部の人事異動が発令されるに及び、この事を捉えて」又分会が岡崎の退職を「合理化の具体的現われとして捉え、組合主張の再認識を求めたもの」と解して本件教宣文の掲示に及んだとして、右掲示が自然であるかのような判断をしていることは誤りである。

(二) 本件教宣文の評価と違法性

1 被告は本件教宣文を評価するにあたり、「被申立人が主張する会社信用の失墜、特定個人の名誉毀損等の理由は、具体的にその文中何れを指向するか必ずしも明確ではない。被申立人会社は、『長船勤労部長左遷か?』という部分を個人の名誉を毀損すると主張するが、これを栄転と言うか、左遷と言うかは単に評価の問題であつて必ずしもこれをもつて不当に他人の名誉を傷つけるものと言う訳にはいかない。」などと文字の末節を云々して全文趣旨を理解せず、さらに、「その他文中の語句について見るに、若干適当でない比喩を用い、やや誇張に亘るきらいがないでもないが、この程度のものが企業の経営秩序を著しく紊乱する違法不当なものとして懲戒の処分に値するものとは言い難く……被申立人会社の本件処分は当を得たものとは認め難い。」と判断している点も到底理解しがたい。

2 本件教宣文を分析すると、

(1) 「長船勤労部長」は「今次長船分会の分裂に於ける蔭の功労者といわれた」者である(長崎造船所勤労部長といえば何某であるか誰にも明らかであり、同人に右分会分裂工作者の烙印を押し、不当労働行為の張本人と断定する。)。

(2) 右分会の分裂は分会には不満で労使間に「しこり」が残るものである。

(3) 会社の現状においては勤労部長の任務は終了した(分会の分裂により)

(4) そこで会社は「しこり」を解消する方便を考案した。

(5) まず本人の自決を促す方法をとつた――「正規の役をもたない」「調査役」とし、次いで遠方の名もない会社へ「出向」させたのだ(出向先や役職等確かな事情を把握せずに「左遷」ときめつける。)

(6) 「広機岡崎部長は広船の調査役として勤務中であつたが、「停年前に自己都合退職」した(勤労部長も右へならえで岡崎部長の二の舞を演ずるのが落ちであろうと暗示する。)。

(7) 勤労部長にしても岡崎部長にしても「資本のつめたさをしみじみと身にしみられた。」であろう(資本―会社の措置が非人間的であると煽動する)。

(8) 「然し、此れが本当の姿でもありましよう。」(冷酷な措置が会社の常套手段であるかのようにいい廻している。)。

(9) 「昔は城が出来上ると秘密を知つた者は打首になつたそうです。」(両部長の運命もこれに等しいと冷酷無残の印象を刻みつける。)。

(10) 「現在は」会社に功労があつても「あとにしこりを残す様な働きをした人は追出される。」(両部長があとにしこりを残すような好ましくない働きをしたと断定し、会社から追出されるのも当然と評価する。)。

(11) 諸君「御用心」ですぞ。功労者といわれても最後は首ですぞ。「御用心」(恐らく同僚への呼びかけであろう。読む者をして著しく再思再考せしめる文句であり、分会の悪意と計画性を端的に暴露する。)。

との趣旨を揶揄と軽蔑を織り交ぜつつ散文的に表現したもので、読む者には、

(イ) 資本家――会社は冷酷であるから、心を許すな

(ロ) 労働者は弱い、部長級でもこのとおりの仕末、課長以下ではどうなることか不安だ

(ハ) 任務を果すにも上手に立廻り要領よくやることだ

(ニ) いつ馘首されるかわかつたものでない

(ホ) 打首となつてはあとの祭りだ

(ヘ) 昔築城の秘密を知つた者は打首にあつたが、勤労部長らの運命も同じようなものだ

との印象が残るのである。

3 右に分析したような本件教宣文は労働組合の正当な教宣活動の限界を逸脱した行為である。

すなわち、右教宣文は会社の人事、労務政策に対する勝手な憶測に基づき、会社及び重要な職制の地位にある特定個人の名を挙げ、虚偽ないしは事実を歪曲して会社の信用を傷つけ、右個人の名誉を毀損し威厳を失墜させ従業員の信頼感を破壊し、その勤労意欲を減退させかつ業務を妨害するものである。

しかもその掲示場所は会社および下請会社の従業員、顧客の目に容易につく場所である。

さらに本件教宣文がとりあげている人事異動の具体的な内容についてみると、堀家勤労部長は資本金一四億円、従業員約二、五〇〇名の日本合成化学株式会社に常務取締役として迎えられ、岡崎部長も資本金三億円、従業員約六〇〇名の有名工作機械製造会社の専務取締役に就任したものであり、停年も近い会社職制として社会通念上からは栄転と評価するほかないものである。

4 組合活動としての教宣活動、就中文書活動は活発かつ有効に文書活動を行なわるべきであることは広く認められているが、組合活動といつても一定の限界があり、不当に使用者を誹謗し、その従業員の名誉を毀損したり信用を失墜させ、あるいは虚偽の事実を流布して使用者の企業活動に悪影響を及ぼすようなことは許されず、会社職制を個人的に誹謗することもまた不当である。

従つて本件教宣文の掲示はまさに労働組合の正当な活動の限界を越えているのに被告があたかも正当であるかのような判断をし、本件懲戒を不当労働行為と断じたのは違法と云うほかない。

(三) 本件懲戒における就業規則適用の正当性

1 会社の従業員就業規則第五九条は、他人の名誉を毀損したとき、職場の秩序を紊したとき、その他前各号に準ずる程度の特に不都合な行為があつたときは原則として懲戒解雇情状により出勤停止または減給に処すると規定している。前記のように本件教宣文の掲示は個人の名誉を傷つけ、会社の信用と名誉を毀損し、かつ職場秩序を紊し業務を妨害したものであるから会社がその責任者である補助参加人三名に対し同条を適用し処分の程度、軽重につき慎重な考慮を重ね被懲戒者らにも弁明の機会を与えたうえ出勤停止または減給の処分に付したことは正当であつて、なんら違法ではない。

会社は本件懲戒にあたり労働協約の定めるところに従い会社組合双方選出の委員から成る懲戒委員会に諮問することとし、昭和四一年六月二四日補助参加人三名の懲戒処分案を分会に送付するとともに同分会から懲戒委員三名を推薦して懲戒委員会へ出席させるように要請し、その後も再三同様の要請を繰返したうえ、同分会が懲戒委員を出席させない場合には審議権を放棄したものと認めるほかない旨を最終通告したが、この間分会は団体交渉において処理すべきであると主張して団体交渉を要求し、会社の右要請に応じなかつた。そのため、やむなく分会推薦委員の出席を得られないまま、同年七月二日、一一日及び二〇日の三回にわたり懲戒委員会を開催して審査を重ね、会社側選出の委員で結論を取りまとめて福岡工作部長に答申し、会社はこれを検討したうえ本件懲戒を行なつたものである。このように会社は手続的にも就業規則の規定を適正に履践しており、不当労働行為意思をもつて補助参加人三名を懲戒したことはない。

しかるに被告が本件救済命令において「労働協約に賞罰は賞罰委員会にはかつて行なう等の定めがあり、従来そのように処理されて来た実情もうかがえる。」と認めながら、「本件事案の如く、組合の教宣活動に基因して、組合幹部の懲戒処分という申立人組合にとつては重要なる事項が、会社の専権事項であつて、団体交渉の対象にならないとする被申立人会社の主張は容認できない。」と判断したのは、労使の信頼関係は自治によつて維持すべきであるという基本原理を否定する結果ともなり違法であつてこの点からも本件救済命令は取消を免れない。

二  労働委員会規則違反について

労働委員会規則第四三条第二項第四号によれば命令には「理由(認定した事実及び法律上の根拠)」を記載することが要求されており、従つて本件についても同条項に基づき救済命令を発するに際しては本件教宣文の掲示行為が組合活動であるか否か、組合活動であるとしても、正当性の限界を逸脱するものでないかどうかを理由を付して判断したうえ、本件懲戒が正当な組合活動を嫌悪したもので不当労働行為を構成するか否かを証拠により判断すべきであるのに、本件命令書にはその末尾に単に「労働組合法第二七条、労働委員会規則第四三条を適用して」云々と記載されているのみで、右の諸点に関する理由の説明がなく、「組合員の団結強化を図る意図のほか、他に意味なし。」との分会の主張を不当にも受入れ、本件教宣文の掲示を正当な組合活動であると判断したもので理由不備の違法がある。

(本件命令の瑕疵についての原告の主張に対する答弁)

一  右主張一(一)のうち、昭和三九年六月三菱三重工の合併により会社内に四つの労働組合が併存することとなり四労協を結成したこと、四労協が会社主張(2)の組合統一案を決定したこと、三菱支部のみが四労協の共同提案を否決したこと、昭和四〇年一二月以降長船分会をはじめ三菱支部傘下の各下部組織が相次いで分裂したこと、福岡工作部においても従来従業員約二〇〇名により組織されていた分会が分裂し、新たに重工福岡労組が結成されたこと、その結果二労組が併存することとなり、その後会社主張のような経過をたどつたこと、本件命令書中に会社主張のような括弧内の判断が示されていることは認めるが、その余の事実は争う。

二  同一(二)のうち、本件命令書に会社主張のような括弧内の判断が示されていること、本件教宣文中に会社主張のような括弧内の文書が存在することは認めるが、その余の事実は争う。

三  同一(三)のうち、会社が本件懲戒につき労働協約の定めるところに従い会社組合双方選出の委員から成る懲戒委員会に諮問することとし、会社主張のような経過で福岡工作部長に対する答申を受け、これを検討したうえ本件懲戒を行なつたことは認めるが、その余の事実は争う。

四  同二の事実は争う。

(被告の主張)

一  不当労働行為の判断について

労働組合の掲示文書の組合活動としての是非はその文書を掲示するに至つた背景、当時の労使関係の実情、掲示の場所、時間等を総合して判断すべきであり、本件教宣文中に多少適当でない字句を使用した面があつたとしても、本件教宣文が掲示されるに際しての右の諸般の状況を綜合考慮すると、その内容は正当性の限界を逸脱しているとは云えず、補助参加人三名の行為は正当な組合活動である。

すなわち、分会が本件教宣文を掲示するまでの経過として昭和三九年六月三菱三重工の合併を契機に会社が合理化を推進したのに対し、分会並びにその上部団体である三菱支部はこれに反対する立場をとつていたこと、労働組合の側でも右合併を機として組織の統一が企てられたが、順調に進まず、かえつて分会を含め三菱支部が内部分裂し、分会は右分裂には会社の介入があつたと判断し組織の防衛に努めていたものであり、本件教宣文の掲示がなされた昭和四一年六月当時も分会や三菱支部傘下の他の組織と会社との間には種々の紛争があり労使が対立していた。本件教宣文の掲示も右対立下で分会の団結を守るための手段としてなされたものである。

さらに、本件教宣文の掲示された場所が分会に貸与されている所定の掲示板であること、会社の抗議もあつて掲示の翌々日には撤去されていること等諸般の事情を考慮すること、本件教宣文の掲示が懲戒に価するものとは考えられず、会社の本件懲戒は補助参加人三名の分会における地位、平素の組合活動に対する不当労働行為であると云うべきで、右判断には会社主張のような違法の点は何ら存しない。

二  労働委員会規則違反について

労働委員会が行政委員会として命令を発するに当つては当事者の全ての主張についていちいち判断し、その根拠を示す必要はなく、使用者の行為が不当労働行為であるか否かの判定に必要な事実を認定し、救済申立の理由の有無を判断すればたりるのである。

本件命令書にも主文並びに理由は明記され、理由中には認定した事実とそれに対する被告の判断を示しており、労働委員会規則第四三条第二項第四号の規定に反する点はなんらない。

(被告補助参加人らの主張)

(一)  本件教宣文の掲示に至る経緯

1 三菱三重工合併と合理化攻撃

昭和三九年六月三菱三重工の合併により巨大独占企業となつた会社は、資本力の強化、生産力の集中統合、重複過剰部門の整理、過剰人員の措置など一連の合理化計画、組合対策を周到に進め、昭和四〇年九月労働組合に対し計六〇億円の経費節減、職員の他会社への出向、会社内の配置転換等一四項目を含む合理化案を提示した。

福岡工作部においても会社の合理化方針に基づき同年七月一六日、八月一四日の二回にわたり他社出向七名、社内直接工への配置転換一〇名、電子計算機の使用による部品生産方式の採用などの合理化案が出された。

2 合理化強行のための会社の労働組合対策

三重工合併後会社内の労働組合組織としては会社主張のとおりの四組合があり、分会の所属する三菱支部は分会二〇〇名のほか、長船分会一二、〇〇〇名、下関造船分会(略称下船分会)一、七〇〇名、広島精機分会(略称広機分会)一、四〇〇名、広島造船分会(略称広船分会)四、二〇〇名、広島造船職員分会(略称広職分会)二、四〇〇名をもつて組織され、支部単一組織として上部団体である全日本造船機械労働組合に加入していた。三菱支部は「労働組合は労働者の生活と権利を守るための抵抗組織である。」との基本原理に立つて経済、政治不可分の闘いを進めてきており、臨時工の本工化、エリコン生産反対、死亡災害に対する抗議ストなど労働条件の維持、向上生活権の防衛とともに、軍国主義復活と政治的反動に反対して闘い、労働組合として常に先進的な役割を果してきた組織である。

従つて、三菱支部が会社の前記合理化計画についても会社の最大限利潤追及政策によりもたらされる現場労働者に対する労働強化と労働条件の低下に反対して闘つたことは当然であり、会社は右計画の強行に当り三菱支部の組織の弱体化、破壊をねらつてさまざまな支配介入行為を実行した。すなわち、会社は職場規律の厳格化、時間励行、職制機構の再編強化によつて、組合活動の規制、活動家に対する圧迫、干渉などを強化し、既存の労働慣行を無視して労働者の権利を剥奪し、思想教育の面でも労使協調、反共主義教育を強め、末端職制の教育講座(班長、伍長教育)の名のもとにこれらの集会を観光地で一泊旅行をかねて頻繁に実施するなど徹底した方策をとり、組合内の批判分子の養成を大規模に行なつたのである。

このような会社の組合対策は長船分会から分会、下船分会、広船分会へと拡大強化され、三菱支部全体に及んだがこれは三重工合併以前から計画的に進められてきた方針に基づくものである。

会社は三菱支部や傘下の各組織をいわゆる左派とし、会社の合理化に反対しなかつた他の三労組とは異なつた思想的立場にあるものとして、徹底した支配介入政策をとつて不当な圧迫を加え、他方右三労組に対しては健全分子、健全勢力として育成する政策をとり、これにより三菱支部の孤立化を図つた。

このような情勢の中で三重工合併を機に起つた会社内四労組統一の動きは曲折を重ね、三菱支部は昭和四〇年九月末から一〇月初めにかけての第三二回定期大会において企業連結成の方向をめざす四労組統一準備会発足の議案を否決したが、その後組織分裂の危険性があると判断し組織を守る立場から同年一二月五、六日代表者会議を開いて討議し、右定期大会の決定を改め企業連結成の方向を決めるため同月一五日に臨時大会を開くことを決定した。

ところが、長船分会の一部労使協調派(企業連推進グループ)は一二月七日午後四時過ぎ突然約一、七〇〇名で第二組合(三菱重工長崎造船労働組合)を結成し組織分裂を強行した。会社は直ちに第二組合を認め、翌日には長船分会との労働協約中のユニオンシヨツプ条項を無視して第二組合との間に同様の労働協約を締結し、各事業所の職制に対し「新組織の合法性」「支部分会の追及に対する答弁要綱」「残業協定締結に対しての労組法に規定した一般的拘束力の解釈」等の文書を印刷配布して積極的に第二組合の育成を図るとともに、長船分会の組織切崩し、分裂策動に狂奔した。同分会からの脱退勧誘は就業時間中にも会社職制により係や組ごとに、あるいは個人別に執拗に行なわれ、さらに各組合員の家庭にまで及んだ。

これに次いで会社は労使協調派幹部の分裂行動に呼応して三菱支部傘下の全分会にわたつて分裂策動を展開し、同年一二月一五日下船分会、昭和四一年一月九日広機分会、同月一三日広船分会の順に相次いで第二組合が結成されたのである。

3 分会に対する会社の支配介入

会社は昭和四〇年一二月九日前記組合の分裂に備えた文書を福岡工作部の職制に配布して分裂を煽動し、その後も職制を利用して昇進の機会の提供までして第二組合に加入するよう勧誘した。

このような会社側の援護のもとに分裂の主謀者らは同月一二日四三名で第二組合を結成し分会の組織を分裂させた。会社は直ちに第二組合を認めてこれと協定を締結し、積極的に第二組合の育成と拡大を図り、分会に対し前記のような不当な圧迫を加えた。

分会は同月一四日事業所経営協議会において会社の前記不当介入に対し、強く抗議した。しかし、会社職制による同様な不当介入はさらに激化して職場内から家庭へと拡大され、昭和四一年二月分会員の約四分の三が脱退し重工福岡労組に属するや会社は労働組合法第一七条を恣意的に解釈し、組合活動や労働条件について会社と重工福岡労組間で合意した事項には分会も従えという公式文書を分会に提示し、さらに会社との協定により設置されている分会の掲示板を勝手に移動させる等した。

重工西連合が他企業の造船労組よりも低額で、しかも早目に会社と妥結したことに対する重工福岡労組員の不満を押さえこれをそらすため、また、三菱重工連合会結成の組織方針として重工福岡労組を長崎造船労組に吸収することが決まりこれが同年九月一日に実施されることに対する重工福岡労組員の不安、動揺を押さえるため、会社は分会に対しますます強度の不当な圧迫を加えた。

すなわち、同年五月以降支払の賃金において分会に所属するが故に奨励金の成績査定を不当に低くし、さらに前記合理化計画の一環として従業員に肉体的、精神的に苛酷な労働強化を強いる「二直制」(昼夜二交替制勤務)を押しつけるため分会組織を無視して分会員に対し個別的に協力を強要するという態度をとり、同年五月一二日会社の二直制実施の申入れに対し分会が抵抗して応じないとみるや、重工福岡労組と連絡をとりつつ分会員に対してのみ多大の減収を来たさせる方法により残業を不当に差別し、分会を脱落して重工福岡労組に加入すれば直ちに残業を指示し、反対に同分会に復帰すれば直ちに残業を指示しないという挙に出たのである。

このように会社の組織切崩しと不当差別が加えられる中で補助参加人三名は分会の三役として分会員の先頭に立ち、組織の維持防衛と労働条件を守り抜くため全力をつくして抵抗しつつあつた。

(二)  本件教宣文掲示の正当性

右のような情勢のさなかに福岡工作部の従業員や分会にとつて関係の深い堀家長崎造船所勤労部長と前福岡製作所長付であつた岡崎氏の人事異動が分会に知れた。

分会が組合員の関心が高い両氏の異動を組合活動の観点からとらえ、組合員の警戒心と再認識を求め、かつ団結の強化と組織の防衛を訴える意図で本件教宣文の掲示に及んだことは時期的にも適切であり、右のような労使関係のもとで会社の不当差別と闘つている労働組合の教宣活動として当然必要なことであるから、その趣旨、目的において正当な組合活動である。

その内容も、堀家長崎造船所勤労部長が昭和四〇年六月一五日付で調査役に任命され、さらに同年七月大阪の会社に出向したこと、広島造船所調査役として勤務していた前福岡製作所長付の岡崎氏が停年前に自己都合退職したことはいずれも客観的な事実であり、右異動はすでに五月中旬ごろには公然の秘密とされ、分会でも三菱支部の中央執行委員会を通じて承知していたのであるから、単なる憶測に基づくものではない。また、堀家勤労部長は会社の前記組合に対する不当介入策の責任者であり補助参加人らが福岡工作部における不当介入を長崎造船所勤労部の意を体してなされたものと認識していたのは合理的で、組合活動の立場から勤労部長を「今次三菱長船分会の分裂に於ける蔭の功労者といわれた。」と記載したことには社会的相当性があるものというべきである。さらに、会社の合理化計画によれば会社職制層の関連他社への出向、配転または陶汰整理もその一環として組込まれており、調査役制度はそのための待命期間としてのいわば一時的、プール的性格と役割を果していた面もあることが認められる。このような点からすれば、資本の冷酷な法則ときびしさが経営担当の職制層にまで及んでくることは何人も否定し得ないであろう。「栄転か、左遷か」は客観的な人事異動の事実をどう価値づけ、どうみるかというまさに評価の問題であり、勤労部長や岡崎氏が調査役に任命されまもなく社外に去つて行つたことを右同様に合理化推進のための人事異動ととらえ、左遷ではないかと評価したとしても、本件の事実関係のもとでは社会的相当性の範囲内にあるものというべきである。本件教宣文中の他の文言についても、前記のような労使関係のもとで前記のような趣旨、目的を達成するためくだいた表現を使用したものであり、これをもつて会社並びに勤労部長等の信用、名誉をことさらに毀損するものとは到底いえない。

以上のとおりで前記のような本件の具体的状況と経緯のもとにおいては本件教宣文の掲示は労働組合の正当な活動である。

(三)  本件懲戒の不当労働行為性

右に述べたように本件教宣文の掲示は正当な労働組合活動であり、これを理由とする本件懲戒(ちなみに、右処分により補助参加人三名の蒙る実害は会社主張の金銭換算額にとどまらず、昇給昇格、奨励金、退職金、ボーナス等広範囲に、かつ長期にわたるものである。)は労働組合法第七条第一号の不当労働行為を構成するのみならず、同分会組織を弱体化ないし破壊するための積極的攻撃の一環として特段の意図に基づいてなされたものである点において、同条第三号の不当労働行為にもあたることは明らかで、本件救済命令にはなんの違法もない。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  原告が昭和三九年六月三菱造船株式会社ほか二社のいわゆる三菱三重工を合併した株式会社で、航空機、自動車、機器の製作、船舶の建造等を主な事業とし、肩書地に本店を、工場の一つとして福岡県筑紫郡筑紫野町に長崎造船所福岡工作部(従業員約二〇〇名を擁する工場。もと福岡製作所と称していた。)を置いていること、補助参加人三名がいずれも福岡工作部に勤務する会社の従業員であり、補助参加人大穂が補助参加人分会の副執行委員長兼教宣部長、同久野が執行委員長、同小田部が書記長であること、補助参加人分会が昭和四一年六月二一日福岡工作部の構内に設置してある同分会の掲示板に「福工分会教宣部」の名で本件教宣文を掲示したこと、会社が同日直ちに同分会に対し抗議を申入れ、さらに翌二二日関係者の責任を追及する旨の文書を交付して抗議したところ、翌々二三日に至り同分会において撤去したこと、会社が従業員就業規則に照し同年七月二六日付で右教宣文掲示の責任者として補助参加人三名を本件懲戒に付したこと、補助参加人分会が右処分を不服として会社を相手方として被告に救済を申立てたところ、被告が昭和四二年三月一五日付で同分会の救済申立を一部認容した会社主張の内容の本件命令を発し、右命令書の写が同月一七日会社に交付されたことはいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、被告が本件命令において本件懲戒を不当労働行為であると判断した点に事実の認定を誤つた違法があるかどうかについて検討する。

(一)  分会及び補助参加人三名の組合経歴

1  分会が全日本造船機械労働組合三菱重工支部の下部組織であり、福岡工作部の従業員約二〇〇名により組織されていたところ、昭和四〇年一二月一二日分裂し新たに重工福岡労組が結成されたこと、その後従業員の大部分が同労組に加入したため昭和四一年八月一日当時分会の組合員が三七名に減少していたことは当事者間に争いがない。

2  補助参加人三名が、分会のいわゆる三役(補助参加人大穂については教宣部長兼務)の地位にあることは前記のとおり当事者間に争いがなく、成立について争いのない乙第一、二号証、証人久野政秋、同小田部敏郎の各証言を総合すると、補助参加人久野は昭和二五年二月一七日会社に雇用され、昭和二七年分会の前身である当時の西日本重工福岡工場労働組合(社名の変更等に伴い、その後も名称は変更されている。)の執行委員となり、その後執行委員長を経て、昭和三〇年から昭和三二年まで西日本重工労組の中央執行委員を勤め、これを辞任した後再び分会執行委員長となり、昭和三四年から昭和三九年まで中央執行委員、昭和三九月三たび分会執行委員長に就任し昭和四一年以降中央執行委員を兼任して現在に及んでいること、補助参加人小田部は昭和二四年三月二八日会社に雇用され、昭和二九年ごろから職場委員等を勤め、昭和三二年執行委員となり、昭和三四年書記長に就任し引続き現在に及んでおり、その間三菱支部の中央委員大会代議員等を歴任したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  本件懲戒処分に至る労使間の経緯と背景

前記乙第一、二号証、成立について争いのない甲第八号証の一ないし四、第一五、一六号証、丙第七、八号証、第一八号証、原本の存在及び成立ともに争いのない同第一号証、第五号証、証人本多正月(第一回)の証言により成立を認めうる甲第一九号証、証人加藤光一の証言により成立を認めうる同第二三号証の一、二、第二四、二五号証、証人本多正月(第二回)の証言により成立を認めうる同第二九号証、証人久保平寅治の証言により成立を認めうる丙第二号証、弁論の全趣旨により成立を認めうる同第三号証、証人小田部敏郎の証言により成立を認めうる同第四号証、第九、一〇号証、第一二号証、第一三号証の一、二、第一四ないし第一七号証、証人本多正月(第一回)、同中島太朗(第一、二回)、同早稲田博、同加藤光一、同中島政次、同久保平寅治、同池田光義、同久野政秋、同小田部敏郎の各証言を総合すると、次のような事実が認められる。

1  三菱三重工合併と合理化計画

昭和三九年六月合併後きびしい経済環境のもとで減配をも余儀なくされた会社は、国際競争力を高め企業間競争に対処するため、組織の簡素化、間接人員の削減(二、六五〇名の関連会社への休職派遣を含む。)及び能率の向上を三本の柱とする一四項目に及ぶ合理化計画をたて、昭和四〇年九月労働組合にこれを提示するとともに、全社的に強く推進した。

長崎造船所においても右の基本線にそつた事業所改善対策が打ち出され実施に移されたが、全造船機械労働組合の中核で毎年闘争を組み後記会社内の四労組の中で最も戦闘的な強い組織といわれていた三菱支部は組合員の労働条件を守るとの立場から合理化計画に反対し、同年九月二〇日長船分会、同年一一月二九日分会においてそれぞれ合理化反対のためのスト権を確立した。

2  組合統一への動きと三菱支部の分裂

一方、労働組合の内部では合併を機に会社内に併存することとなつた四労組、すなわち本社労組(約二、二〇〇名)、同盟三菱(約四〇、〇〇〇名、旧新三菱重工系)、三菱労連(約一三、〇〇〇名、旧三菱日本重工系)及び三菱支部(約二三、〇〇〇名、旧三菱造船系)の組織を統一しようという機運が高まり、曲折を重ねたうえ、昭和四〇年二月一日右四労組は三菱重工四労組協議会を設置し、(1)昭和四一年一〇月一日を目途に連合会を結成すること、(2)そのため三菱重工組織統一準備委員会設置の件を四労組の共同提案としてそれぞれの大会で確認を求めることを決定した(合併後会社内に四つの労組が併存することとなり四労協を設置したこと、四労協が右のとおり決定したことは当事者間に争いがない)。

しかしながら、三菱支部と他の三労組とはかなり立場を異にしていたので、三菱支部を除く他の三労組が昭和四〇年八月から一〇月にかけてそれぞれ大会を開いて右共同提案を可決したのに対し、三菱支部は同年九月二八日から一〇月二日まで長崎市で開催した第三二回定期大会において労使対決か労使協調かの路線をめぐつて激しく対立し、賛成二〇、反対三〇、保留一〇で右提案を否決し、執行部提案の運動方針を大きく修正した(三菱支部のみが右共同提案を否決したことは当事者間に争いがない)。

その結果、四労協は同年一〇月三〇日解散のやむなきに至り、三菱支部を除く三労組はあらためて三労組による組織統一をめざすこととし、同年一二月二三日三菱重工労働組合協議会を結成した。

このような情勢の中で、三菱支部傘下の広島造船職員分会は、同年一一月九日、三菱支部から脱退すること、脱退の時期その他については分会執行部に一任することを決定し、他の分会においても組合員の間に動揺がみられるに至り、一部に分裂の危険が察知されたので、三菱支部執行部は右第三二回定期大会の決定を修正することを決意し、同年一二月五、六日の両日支部代表者会議を開いて討議し、右方針のもとに同月一五日臨時大会を開くことを決定した。

しかし、時すでに遅く、同月七日長崎造船所において約一、七〇〇名で重工長船労組が結成され、三菱支部最大の拠点である長船分会が分裂するに至つた。翌八日には前記広職分会が支部を脱退して新組合として発足したのをはじめ、三菱支部の動揺は傘下の全分会に波及し、同月一二日分会、同月一五日下関造船分会、翌四一年一月一〇日広島精機分会、同月一三日広島造船分会と相次いで分裂または支部を脱退して新組合を結成し、これら新組合は重工労組西日本連合会に結集した(昭和四〇年一二月以降長船分会を皮切りに三菱支部傘下の各分会が相次いで分裂したことは当事者間に争いがない)。重工労協は右連合会の加入を認めたが、三菱支部の三回にわたる加入申入れをいずれも拒否した。

分裂後の各分会における組合員の脱退と新労組への加入の傾向は著しく、長船分会が分裂後二週間たらずの間に組合員の過半数を失なつたほか、各分会ともに分裂後極めて短時日に過半数を割り、一挙に少数派に転落した。昭和四一年一月末当時、三菱支部全体としての組合員数は分裂前の約一〇%に分会別では分会を除いていずれも一五%以下に減少していた。

3  組合分裂の原因についての三菱支部の認識

会社は長船分会分裂の翌日には新労組との間で交渉の相手方等について相互確認を行なうとともに(分会や他の分会の分裂の際もほぼ同様であつた)、同日付管理課長名で新組合結成に伴う法律問題についての会社の見解を明らかにした文書を当時まだ組合分裂の事態が生じていなかつた福岡工作部を含めて係長以上の管理職に配付した。また、右分裂の翌日から数日にわたり長崎造船所の会議室において「工程会議」の名で就業時間中に新労組に参加した工長、組長等役付工のみで会議が開かれ組合の組織問題を中心とする討議が行なわれた。

このようなことなどから、長船分会をはじめ三菱支部傘下の各分会においては組合の分裂には会社の介入、支援があるものと判断していた。

現に、長崎造船所においては、昭和四〇年一月一九日付勤労部長名で(当時の勤労部長は本件教宣文で問題となつている堀家正三)、福岡工作部長を含む各部長宛に「本年度勤労重点施策の件」と題する秘密文書が出されており、その中に「課、工場の体質改善」として「(1)従業員の思想的色分けを行なう。(2)監督者層、健全分子を中心に健全勢力の伸長を図る。(3)左派に対する個別対策を推進する」旨記載されていた。

ちなみに、福岡工作部は長崎造船所の機械総括部に属する一部局であり、勤労関係については同所勤労部で作成した基本的な方針及び取扱いの基準に従つて具体的な実施を行なう機構になつていた。

4  福岡工作部における組合分裂後の労使関係

分会分裂の翌々日である昭和四〇年一二月一四日の事業所経営協議会において、補助参加人久野は会社が重工福岡労組結成の翌日同労組と協定を締結したことや組合分裂に便宜を与えた等として、会社に対し強く抗議を申入れた。

しかし、当初四三名によつて結成された重工福岡労組はその後続々と組合員を獲得し、その反面、分会は他の分会に比較して減少のペースこそややゆるやかであつたとはいえ、昭和四〇年一二月二〇日には一一八名、同月末には九一名と早くも過半数を割り翌四一年一月末七六名、二月末四二名、三月末三六名と減少の一途をたどり、二月中旬以後は再三全員集会を開いて脱落を防止した結果、本件教宣文の掲示された当時まで辛うじて三六名を維持している状態であつた(なおその後も分会の組合員の数は減少の一途をたどり、昭和四三年五月末現在において二四名)

その間、分裂後二、三箇月間にわたつて、重工福岡労組員である福岡工作部の係長、班長等の一部末端職制や平工員により職場において、あるいは分会員宅を訪問して同労組へ加入の勧誘がかなり顕著に行なわれたため、分会は組合分裂は会社の介入によるものとの判断をいよいよ深め会社と対立していた。

昭和四一年四月には、会社が重工福岡労組の掲示板を設置するため、分会に貸与している更衣所入口の掲示板(後に本件教宣文が掲示された)を分会になんらの連絡もなく一・五米位奥へ移動させたことから、同分会が直ちに会社に抗議した事件があり、また、同年五月二〇日に支給された奨励金(賃金中の成績査定による能率給の部分。賃金の約二、三〇%を占める)について、会社が分会所属の従業員二十数名に対し同分会に所属していることを理由に成績係数(出勤状況、技量発揮の度合及び会社業務に対する協力の度合により、〇・五から一・五位の範囲内で、全体の平均が一・〇になるように毎月評定される。これと就労時間数により奨励金の額が算出される。)を不当に切下げたとして、同分会から会社に対し団体交渉の申入れがなされ、これが労使間の紛争の一つとなつた。

これより以前の同年五月一二日会社から補助参加人分会に対し「二直」(二交替制勤務。納期の関係で多忙期に、その都度労働組合と協議したうえ、一部の職場について臨時的に行なわれる。)実施の申入れがなされたが、その際作業内容を示すのみで、労働条件を含む実施要綱の説明がなかつたため、同分会はこれの点につき資料の提出を要求し、会社もこれを約束した。ところが、会社はその後同分会に対しなんらの連絡もせず、翌翌一四日に至り同分会の協力が得られないからとの理由で右二直実施の提案を撤回し(重工福岡労組とは同じ時期に協議して実施した。)、越えて同年六月一三日生産説明会の席上において会社に協力的でない同分会所属の従業員に対しては長残業(二時間を超える残業)を指示しない旨を正式に表明し、同日以後長残業を指示しなかつた。

同年六月二四日会社は分会に対し新たな二直を提案し、作業内容のみを示して翌二五日一四時までに回答するよう要求した。そこで、分会は二直受諾の条件として、停止中の長残業の即時実施、同年一月に行なつた二直の条件を下廻らないこと、健康診断の実施などの四項目を回答したところ、会社は到底受諾できないとして以後の話合いに応ぜず、同月二七日以降分会所属の従業員に対しては通常残業(従来恒常的に行なわれてきた二時間の残業)の指示をもしなかつた。

同年七月中右の二直と残業の問題について被告のあつせんが行なわれたが、結局成立せず、その間会社は同月はじめ重工福岡労組を脱退して分会に加入した従業員に対し直ちに残業の指示を中止した(なお、本件懲戒後になるが、会社は逆に同分会を脱退して同労組に加入した従業員に対しては直ちに残業を指示している。この残業差別については、昭和四二年九月一四日付で被告から「二直の実施に協力しなかつたことを理由に、他の組合に所属する従業員と区別し、殊更に差別をしてはならない」旨の救済命令が発せられている。)。

このような情勢の中で分会は会社の措置に抗議し少数派組合員の脱落を防止しその団結を図る目的のもとに分裂後半年間に一〇〇枚を超える教宣用壁新聞を掲示していた。本件教宣文もその一つであり、補助参加人三名はこれら文書活動をはじめ、分会の中心となつて活躍していたものである。

前掲証拠中右認定に反する部分は措置できず、他に右認定を覆すにたる証拠はない。

(三)  本件教宣文の掲示と本件懲戒

1  前記甲第一五号証、成立に争いのない同第一号証、第二七号証の二、証人早稲田博の証言により成立を認めうる同第二六号証、第二七号証の一、証人本多正月(第一回)、同中島太朗(第一回)、同早稲田博、同加藤光一、同中尾次男、同久野政秋、同小田部敏郎の各証言を総合すると、

(1) 本件教宣文は縦、横各七、八〇糎位のほぼ正方形に近い模造紙に黒のマジツクで書かれたもので(但し、最初の一行と中間の二行の見出しの部分並びに文末の二行は赤マジツクで書かれ、かつ傍線が引いてある。)、昭和四一年六月二一日の終業定刻後残業者が退社するまでの間に、更衣所入口にある会社から分会に貸与されている掲示板に貼付され、翌々二三日正午過ぎに撤去されたこと(六月二一日に福岡工作部の構内にある同分会の掲示板に掲出され翌々二三日に撤去されたことは当事者間に争いがない。)、右更衣所には従業員用のロツカーなどが置かれてあり、また二階には食堂があるため会社の従業員や下請関係者は始終出入りするが、会社を訪れる外来者が許可なく自由に出入りできる場所ではないこと

(2) 分会は本件教宣文の掲示を執行委員会において決定したが、その内容たる人事異動については補助参加人久野が同年六月中旬の三菱支部の中央執行委員会において聞いてきた報告に基づき社報でこれを確認した程度であり、それ以上に堀家勤労部長の出向先や地位、並びに岡崎調査役の退職の事情等当該人事異動の持つ実質的な意義については調査しなかつたこと(だた、堀家勤労部長の出向先については調査役任命の以前から関係者の間でかなり知られており、補助参加人久野もうすうす聞き及んでいたため「大阪の某会社」という表現になつたものと思われる。)、補助参加人らは調査役を次の役職に就くまでの一時的なポスト(いわゆる待命期間)ないし正規の仕事を与えられない閑職であり調査役に任命されること自体不遇な取扱いであるとの基本的な理解に立つており、本件教宣文の掲示もそのような観点からなされたこと

(3) 堀家長崎造船所勤労部長は三菱化成系の日本合成化学工業株式会社(本社大阪、資本金一五億円余り、従業員約二、三〇〇名)に常務取締役として派遣されるため、昭和四一年六月一五日付で調査役に任命され、同年七月一日付で同社に休職派遣されたこと、従来長崎造船所勤労部長から原告会社の取締役等に栄進する者とそうでない者との比率は相半ばしているが、堀家部長は同年一二月末に停年に達する予定で会社取締役に就任できる見込も多くはなかつたこと、(但し、停年後一年間は嘱託として勤務することができる。)もと福岡製作所長付で前広島精機製作所工作部長の岡崎広島造船所調査役は工作機械メーカーの株式会社大阪工作所(資本金二億円余り、従業員五~六〇〇名)に代表権を有する専務取締役として就任することとなつたが、原告会社においても工作機械を製作しており、競合関係に立つので、代表取締役として休職派遣の形をとることは好ましくないとされ、停年が同年八月に迫つていたこともあつて、同年五月末ごろ自己都合退職したこと、調査役は本来特定のテーマに関する調査、研究、開発を担当し課長以上の資格を有する者があてられる重要な役職であるが、会社においては職制の改廃等合理化により生じた剰員を一時あてたり、退職前や他社へ出向する場合に一時的にこれにあてる一面もあり、ライン部門に比べて十分評価されていないことが認められ、右認定を覆すにたる証拠はない。

2  会社が本件懲戒にあたつて労働協約の定めるところに従い会社組合双方選出の委員から成る懲戒委員会に諮問することとし、昭和四一年六月二四日補助参加人三名の懲戒処分案を分会に送付するとともに同分会から懲戒委員三名を推薦して懲戒委員会へ出席させるよう要請し、その後も再三同様の要請を繰返したうえ、同分会が懲戒委員を出席させない場合には審議権を放棄したものと認めるほかない旨を最終通告したこと、この間同分会は団体交渉において処理すべきであると主張して団体交渉を要求し、会社の右要請に応じなかつたこと、そのため同分会推薦委員の出席を得られないまま、同年七月二日、一一日及び二〇日の三回にわたり懲戒委員会が開催されて審査を重ね、会社側選出の委員で結論を取りまとめ福岡工作部長に答申したこと、会社が右答申を検討したうえ、本件懲戒を行なつたことはいずれも当事者間に争いがなく、原本の存在及び成立に争いのない甲第六号証の一ないし三によれば、補助参加人三名に対する本件懲戒が従業員就業規則第五九条第一三号及び第一六号に基いてなされたものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

3  成立に争いのない甲第一一号証によれば、会社の従業員就業規則第五七条には懲戒の種類として譴責、減給(一回の額が平均賃金の半日分以内で、その総額がその賃金支払期間の賃金総類の一〇分の一以内の額)出勤停止(一〇日以内)及び懲戒解雇が規定され、第五九条には「従業員が次の各号の一に該当する場合は懲戒解雇に処する。但し、情状酌量の余地があると認められるときは、出勤停止又は減給に止めることがある」として、第一三号に「不当に他人の自由を拘束し、又は名誉を毀損したとき」、第一六号に「その他、前各号に準ずる程度の特に不都合な行為があつたとき」と規定されていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

4  前記乙第二号証、証人本多正月(第一回)、同中島政次、同小田部敏郎の各証言を総合すると、従来福岡工作部において労働組合の文書活動について会社から異議が出たり、それを理由として懲戒がなされたことはなかつたこと、また会社が従業員に対する懲戒を会社構内に告示した例もなかつたところ、会社は本件懲戒については氏名を伏せて告示するという異例の措置に出たこと、会社の従業員が懲戒を受けた場合には、昇給や毎月成績査定により支給される奨励金に大きく影響し、さらには退職金にも影響するなど、経済的損害は当該出勤停止期間中の賃金や当該減給額にとどまらず広範囲にかつ長期にわたることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(四)  不当労働行為についての判断

1  右(一)(二)認定の事実によれば、補助参加人三名は組合分裂後も分会に所属し、衰退の一途をたどる分会の組織を守るため三役として活発な組合活動を行なつてきたものであり、他方会社は会社の方針に協力しない分会を好ましくない存在として敵視していたことが容易にうかがわれる。

2  又、本件教宣文の内容は、たとえその掲示が前認定のような会社と分会の対立及び分会の勢力衰退の状況下になされたものであるとの特殊事情を考慮しても、なんら分会が会社の不当労働政策として把握する会社の合理化政策及び堀家勤労部長、岡崎部長ら高級職制によつて推進された会社の労務政策等に対する批判や反対の趣旨を表明したものとは解されず、単に抽象的に会社は冷酷無情であるから労働者は甘言に乗らず十分に注意警戒の態度をとるよう情宣するため非組合員である会社高級職制の人事異動というニユース性のある問題をとりあげ、社会通念上左遷と評価し得るだけの特段の合理的根拠もないのにその氏名を具体的に挙示し、又は会社従業員であればたやすく具体的個人を識別し得るような表現により右異動が左遷である旨を揶揄的に表示したものであると認められ、かゝる内容の文書を掲示することはたとえ組合の情宣活動であつても徒らに個人の名誉を侵害し侵害するおそれがあるから正当な組合活動の限度を逸脱するものと評価すべきである。

しかしながら、前認定の本件教宣文掲示に至るまでの労使関係、右掲示当時の分会の状況、その掲示の目的や場所方法等を仔細に検討すれば、右教宣文掲示の目的が専ら個人の名誉を侵害する悪意によつてのみなされたものとも解されず衰退の一途をたどる少数派組合である分会の組合員に対し団結の強化を特段に訴える目的でなされたものと見るべき余地が少なくなく、しかも本件教宣文は掲示の翌々日の正午過頃までには会社の抗議により分会の手により撤去されたことをも考慮すれば、本件教宣文の掲示の違法性はしかく高度のものとはいえず、これに対し前記不利益を伴なう出勤停止を含む本件懲戒の挙に出た会社の態度はやゝ苛酷に失する譏を免れ難く、更に前項(二)1ないし4、同(三)4の事実をあわせて考えると、本件懲戒は会社と対立する三菱支部傘下の各組織に対しては多少の不当な行動でも特に強硬な態度で臨み、間接に健全勢力と目される同一企業内の重工労組の伸長を図ろうとする会社の勤労施策を決定的原因とするものであることを優に推認することができ、従つて本件懲戒は少なくとも労働組合法第七条第三号にいわゆる支配介入行為に該当するものというべきである。

三  次に、原告は本件命令が命令書に「理由(認定した事実及び法律上の根拠)」の記載を要求している労働委員会規則第四三条第二項第四号に違反すると主張するが、右条文は原告の挙示するような当事者双方の主張や審問の過程にあらわれた諸事実に対する判断やその根拠を逐一記載することを要求するものではなく、主文を含む命令書全体の中に主文を理由づけるにたりる認定事実と右が不当労働行為であることの理由の説示によつて労働組合法の規定する不当労働行為の類型が諒解できる程度の記載があればたりる趣旨と解すべきであり、本件命令書はその表現やや明確を欠くうらみはあるがその全体の記載を通読すれば、本件教宣文の掲示行為が正当な組合活動の範囲を逸脱していないこと、本件懲戒が右行為を対象になされた不当労働行為であることを理由づけるにたる事実及び理由の記述が含まれていると解するに妨げないので、原告の主張は理由がない。

四  結論

以上のとおり本件において問題とされる会社の補助参加人三名に対する本件懲戒が労働組合法の精神に照らし、団結侵害の不当労働行為であるとした被告の判断は結局のところ相当であり本件命令には原告主張のような取消原因となる瑕疵は存せず、かつ本件命令は救済方法としての範囲を著しく逸脱したものとも認め難い。従つて原告の本訴請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九四条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松村利智 石川哲男 安井正弘)

(別紙)

福工分会教宣部

長船勤労部長左遷?

今次三菱長船分会の分裂に於ける蔭の功労者といわれた長船勤労部長が六月十五日付で調査役(正期の役をもたない役)に任命、七月大阪の某会社に出向が確定的といわれています。

前福岡製作所々長付

岡崎氏自己都合退社

皆さん御承知の所長付であつた広機岡崎部長は広船の調査役として勤務中でありましたが今度停年前に自己都合退職されました。

長船の勤労部長、広機の岡崎部長にしても資本のつめたさをしみじみと身にしみられたことと思います。然し此れが本当の姿でもありましよう。

昔は城が出来上ると秘密を知つた者は打首になつたそうです。現在はあとにしこりを残す様な働きをした人は追出されるあまり変りません。

利用される人は最後に利用される

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